プロフィール

自由になりたい。

自分のペースで生きて行きたい。

朝から晩まで会社に拘束されて、人生の殆どを会社に捧げるなんていやだ。

 

 

初めまして やんじです。

 

子供の頃から要領が悪くて迂闊

イタズラをすれば真っ先に見つかる。

複数人でイタズラをしても怒られるのは僕だけ。

先生にいつも呼び出され、いつも怒られている子供だった。

唯一の評価は「この子は嘘はつかない、何でも正直に言う子供だ」というものだった。

末っ子の僕は親父の経営する会社の好調さもあって、特に不自由する事なく、両親の愛情を一身に受けて育った。

キャッチボールで近所の家のガラスを割っても、正直に報告すれば両親は怒らなかった。

 

 

中学の文化祭で音楽と出会う

いや、音楽とは出会っていたのだけれど。。

周りはチェッカーズや光GENJIを聞く中、兄の影響もあってマイケルジャクソン、マドンナ、

カイリーミノーグ、リックアストリーなどの洋楽を聞いていた。

当然周りの友達とは音楽の話しは合わなかった。

 

中学の文化祭で全校生徒の前で同級生がバンド演奏を披露したのを見た時に、それを客席で見ていた僕は(僕はあちら側の人間のはずだ)と何故か強く思ってしまった。

確かジュンスカとZIGGYをやっていた気がする。

 

当時でも連中は結構上手い方で、その時のメンバーはその後バラバラではあるがメジャーデビューしたとかしないとか。

今は多分跡形も無く居なくなっていると思う。話し聞かないから。

 

そこからやんじ少年は独学で音楽の勉強を始め、ピアノは習ってなかったけど何故か鍵盤楽器は常に家にあるという環境から、自然とキーボードの道へと進む事になったのである。

 

 

インディーズデビューと音楽業界からの撤退。親父の会社の倒産

独学なので進行は遅いけどキーボードも弾けるようになり、作曲もするようになった僕は色々なバンドで演奏をしつつ、自分の曲を書き溜めていた。

 

最後のバンドにキーボードとして迎え入れられた時、とあるライブオーディションで優勝してしまった事でインディーズレーベルからデビューする事となった。

 

それまで貧乏の極みだったメンバー間でお金の分配という事になり、その時の人間模様のドロドロで僕はバンドを辞める決意をする。

僕は実家暮らしだったので正直お金なんてどうでも良かったんだけど、メンバーは地方出身の一人暮らし。

そりゃ1円でも多くお金は貰いたかったのだろう。
もうジャケ写も撮っちゃったしCDプレスしちゃったし、ツアーの予定も決まってたのにね。

 

関係各所に多大なる迷惑を掛けたのもそうだけど、その時のボーカルが彼女だったりで。。

バンドを辞めた後も1人で作曲を続け、書き貯めた曲で音楽の世界にいつかは戻ってやろうと、クリスマス時期の店頭でシンセの演奏をしたりして小金を稼いでいた時に、母親が末期の卵巣がんになる。

バンドに残った彼女に脅迫されたりとか色々あって、音楽の世界に嫌気がさし、その後数年間は音楽番組はおろか音楽すら聴けない状態になってしまった。

 

音楽は12年近くやってきたので本当はもっとエピソードが沢山有るんだけど、今思い起こしても嫌な事ばかりだったので、これくらいにしておく。

 

小さいながらも両親は会社経営をしていて、経理担当だった母親の長期入院、親父1人では会社が完全に回らなくなった。

 

親父は親父でショックからか仕事が全く手につかなくなり、会社自体が完全にストップしてしまった。

 

家族崩壊の危機

僕には5つ上の兄が居る。

当時結婚したばかりで奥さんのお腹には子供が宿っていた。

 

親父も兄貴も現実逃避をして目の前に迫っているあらゆる事から目を反らし、今までと変わらない生活をしようとしていた。

 

このままではこの家族は終わる。

 

終わらせない為に僕は、友人が勤めている弁護士事務所を紹介してもらい、高額な手術費用をまかなう為に「高額医療費控除」を利用し、給料のベースを上げる為に仕事を紹介してもらい、現状打破を図った。

 

「お金は貸せないけど」と周りの友人達が知恵を貸してくれた。

財産を一切持たない僕だったけど、友人に恵まれたのは唯一の財産だったよね。

その後会社は清算して両親は自己破産、税金やら何やらを一切帳消しにして、今は別の仕事をしている。パートだけどね。

 

あ、母親はガンの転移もなく今も元気に生きています。

LEVEL4の進行ガンで医者にも手の施しようが無いって言われたんだけどね。

 

就職

趣味でも音楽は一切やらなくなった僕はしばらく超大手着メロ会社に就職した。

仕事として割り切ると、不思議と音楽を聴くのは苦痛では無かった。

 

数年して部署内でもそれなりの発言権や技術的評価を受けていた頃に、当時の上司との毎日の喧嘩で「群発性頭痛」を発症してしまう。

群発性頭痛とは別名自殺頭痛と呼ばれ、鎮痛剤も聞かずにその痛さから自殺を誘発してしまうとても痛い頭痛だ。

 

医者に「このままこの仕事を続けていれば頭痛を繰り返すから、環境を変えないとダメだ」と言われて転職を決意。

 

次に興味のあったプログラムの世界に飛び込んでみた。

いわゆるシステム業界というやつ。

 

もともと物作りが好きだった僕は、プログラムなら今後も無くならない世界だと飛び込んだのはいいものの、蓋をあければ徹夜は当たり前、家に帰れないなど酷い環境だった。

 

最初の会社はそれでも従業員の仲がよく、プライベートでも遊びに行くような会社だったのでキツくても何とかやってこれた。

 

6年目の時に、会社が大幅に傾いて先輩達がみんな辞めてしまった。

 

残ったのは僕一人、仕事も全く無いので僕一人でも良かったんだけど、数ヶ月Youtubeばかり見ているというような状態だった。

このままでは開発の第一線から置いていかれてしまうし給料は低いままなので、別のシステム会社への転職をする。

 

パワハラからの適応障害へ

運良く転職が出来て給料も上がった僕は、毎日仕事に勤しんでいた。
幾つかの案件をこなしたあとに、別のプロジェクトメンバーに組み込まれた。
前の担当者が退職するからとの事。

 

その時僕が下に付いた先輩がトンデモない奴だった。

 

○自分のミスを人のせい(僕のせい)にする。

○自分は仕事しないのに僕の仕事の遅さを毎日責める

○彼女に合わせろと焼肉屋をセッティングされる(割り勘)

 

このシステム会社は、それまで僕がやってきた事よりも数段レベルの高い事をやっていたので、僕が知らない事やちょっとしたミスや、やり方の違いなんて事が良くあった。

その先輩はそれを見つける度に舌打ちをし「氏ねクソ野郎」と小声で僕に言うようになった。

 

後から聞いた話しだけど、前任の担当者はそれが嫌で辞めてしまったとの事。

 

僕もどうにか上手くやって行こうと何度もその先輩を飲みに誘って、冗談交じりで「怖いので止めてください」とお願いしたんだけど、「俺はムカついたら言うわーw」と言った調子。

 

ミスして怒られるのが怖い→ミスばかり気にして視野が狭くなる→単純なミスをする。

典型的な負のスパイラルに陥り、他の社員の顔色まで気になってしまうように。

 

 

段々会社に行くのが憂鬱になってきて数ヶ月後、同僚の何気ない一言でそれまで表面張力で何とかこぼれないでいたコップの水がドバー!っと溢れてしまった。

 

会社に体調不良で早退させてもらい会社のビルを出た瞬間、涙が止まらなかった。

アラフォーのおっさんが子供のように交差点の真ん中で声を上げて泣いた。

 

 

魔法のお薬で何も怖くないよ

僕には当時付き合っていた彼女が居た。

後の妻となったその彼女とは、1年目の遠距離恋愛中だった。

毎日会社から帰るとスカイプのビデオチャットで話し、月1でお互いに行き来していた。

 

 

当時の僕の様子を毎日見ていた彼女は、「最後の方は全く笑わなくなった」って言ってた。

病院に行ったら精神科に回されて、「適応障害」と診断された。

 

いわゆるうつ病一歩手前。
このまま進行すると必ずうつ病になるという怖い病気だ。

 

会社も急には辞めれないし、でも会社には行けないし、どうすればいいかと先生に頼み込んだら魔法の薬をくれた。

 

凄いよね、この薬を飲むと何も怖くなくなるの。

 

辞めるまでの1ヶ月間はその薬を飲んで会社に行った。

その時の記憶は実はあまり無い。(薬のレベルからしたら初心者用って言ってたけど。。。)

 

再就職と結婚、そしてブラック会社

3ヶ月の治療期間を経て晴れて再就職を果たした僕は、3年付き合った一回り年下の彼女と結婚する事に。

僕が適応障害になった時も、ハロワに通いながら再就職活動している時も、一緒に泣き一緒に笑い、ずっと支えてくれた彼女だった。

 

再就職した会社はデザイン会社で、ちょっとしたシステム案件もやりたいから、プログラマーを募集しているという事だった。

大手航空会社のHP製作もやっているし、あまり忙しい会社じゃないという話しだったので、僕が力になれればと就職してみた。

 

新婚3ヶ月なのに毎日帰るのは日付が変わる頃。。。

 

安い大量の仕事を少ない人数で回してるという典型的な体育会系B企業だった。

社員はアドレナリンジャンキーかワーカーホリックの連中ばかり。

契約書には残業代払うって書いてあるのに、今まで一回も払われた事が無い。

仕事が終わらなきゃ休日出社、給料も上がらない、残業代払わない。

体力の尽きた社員は病気で辞めていき(パニック障害など)、新しく入ってきた社員は能力のある人はさっさと見切りを付けて辞めていく。

 

残ったのは他に行ってもやって行けない社員か、年齢的に転職有効期間が終わっている連中ばかり。拾ってもらっただけでも有難い連中なので、金払いの事に言及する社員は誰も居なかった。

一番厚い年齢層が38歳っていうのも後から気がつけばなるほどなと思った。

 

多忙が1年続いた時に、重度の抑うつ状態になってしまった。

完全に会社には行けなくなり、休職する事に。

僕は会社とのやり取りも出来なくなってしまい。

やり取りは全て妻がしてくれた。

 

もう自由に生きる事にしよう

サラリーマンは安定ですか。

僕はそうは思いません。

貴方の会社、10年後にもあると思いますか?

 

僕は安定を得るためのサラリーマンはもう嫌になりました。

生きていくだけなら別に会社に属さなくてもいいと思います。

自分で仕事をするもよし、お金が無くなったら適当に働けばよし。

 

もっと妻との時間を持ちたい。

田舎に住んでのんびりしたい。

会社の事を気にせず大好きな趣味を楽しみたい。

日曜の夕方の憂鬱をこの先何年も味わうのはもう嫌だ。

 

今後は福島に移住して、妻の実家で住居費の掛からない緩い生活をして行きたいと思います。

人生でかなりの割合を占める「住居費」が無ければ、そこまで必死に働かなくても生きていけるしね。

 

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