うつ病を克服して働けるようになるまでに3年掛かった話

みなさんこんにちは。やんじです。

このブログを始めたきっかけというのが、重度の抑うつ状態で会社に行けなくなってしまい、日常生活もままならない状態にまでなってメンタルクリニックを受診したのを記事にした事ですが、そのまま3年間通い続けて先月「もう来なくても大丈夫ですよ」という所まで到達するに至りました。

うつ病だった僕が改善するまでに徹底して行った5つの事
みなさんこんにちは、やんじです。 最近は症状も大分改善されてきて、薬の量も最大時の4分の1になりました。 診療内科への通院は3週に1度のペースです。 今年中には薬も要らなくなるだろうと先生も言ってました。 はじめ...

前に書いた記事と重複する部分も多々ありますが、この記事ではそこに至る経緯を現時点までを含めつつ振り返りまとめてみたいと思います。

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うつ病?適応障害?抑うつ状態?

僕は医者じゃないので適当に言いますが、医学的に「うつ病」って病名は無いんだと思います。

医師は「うつ病」とは言いませんし(ゆうメンタルではそうでした)、診断書にもうつ病とは書かれずに「重度の抑うつ状態」と書かれていました。(俗に言ううつ病)

重度の抑うつ状態からくる様々な状態を総称して「うつ病」というのだと僕は思います。

ですから一口にうつ病と言っても原因から症状まで様々で、代表的な原因としては重度のストレス、症状としては不眠気力の低下認識力の低下食欲の低下、などなど生きていく上で重要な事の低下が挙げられます。「生命力の低下」みたいな。

僕は2度の適応障害から重度の抑うつ状態に陥り、一時は生きる屍のようになっていました。

起きている間中辛いんです。何が辛いのか分からないんですけど、とにかく辛いんです。

生きている事自体が辛いというか、とにかく全てが辛いんです。

で、重度の抑うつ状態に至った時に僕の脳内で起こっていた状況というのは、ストレスから神経伝達物質のあれこれ(検索すると色々出てきますのでここでは割愛)が上手く脳内で働かなくなってしまったんです。

不眠、意欲の低下、感情のコントロール、体温のコントロールが自分の意志に関係なく暴走するみたいな感じですかね。

例えば突然嗚咽するように泣き出したり(何で悲しいのか分からないし街中で起きたりする)全く眠れなくなったり、お腹は減らないし、突然シャワーを浴びたように大量の汗をかいたりするのです。暑くないんですよ?

あとは突然激しい眩暈がして視野が狭くなって耳も遠くなって「コテンっ」って倒れたりしましたね。決まって電車に乗って会社から帰って来る時です。

寛解を迎えるのに3年

うつ病選手権の皆さんはまずこの「寛解」という状態を目指すと思うのですが、医学的に「完治」というものが無い(恐らく散々検索して寛解というキーワードは沢山見てきたはず)うつ病患者にとってはこの状態を以って完治とするようです。

この寛解とは

病気の症状が、一時的あるいは継続的に軽減した状態。または見かけ上消滅した状態。

という事のようです。

これまたうつ病が治るまでに何年掛かるかみたいなのも散々検索で見たと思います。

僕もそうでしたし実際にフルで(バイトですが)働けるようになるまでに3年掛かりました。

長かったようであっという間の3年間という感じです。

写真でも見ると分かりますが、発症直前ではガイコツみたいですよね。笑ってますけど。

寛解する為に行った事

己を良く知ろうとした

とある担当の医師に勧められて簡易ADHDのテストを受けたんですよ。

そしたら「発達障害とまでは言えないがその疑いあり」と出たんですね。

あくまで簡易なので精度としてはこの程度ですが、正式な診断をするには母親の同行や幼少期の通知表なども必要になるようです。簡易テストでも思い当たるフシがあったので、長年疑問に思っていた事が(あぁそういう事だったのか。。。)って納得行きましたね。

医学的に発達障害とまでは行かないけど、「本人が生活する上で困っているという事は何だかしらの対策をしなければならない」というのがその担当医の見解でした。

まずはADHDとは何ぞやという本が色々出ているので、読んでみてはいかがですか?と言われたので、本屋に行って本を1冊買って来ました。

これはマンガと文章で説明しているのでとてもすんなり頭に入ってきましたね。

上記は人の能力のステータスを簡略化したグラフだとします。

各頂点に「攻撃力」とか「すばやさ」とかがあると思ってください。

大人になるにつれて各種ステータスが伸びて行くのですが、こうやって綺麗に五芒星のように伸びる人の方が稀なんだそうです。

例えば攻撃力は平均レベルまで伸びているのに、素早さがちょっと足りない。普通はそういうものなんだそうです。抜群の攻撃力を誇るが素早さが著しく低い重戦車タイプの戦士。

前衛にいたらとても頼りになりますがそんなステータスの人に盗賊をやらせたらどうでしょう。

戦闘は上手く行かないし周りにも迷惑をかけますよね。

それがわからないで自分は人並みに出来るって思って、本来やる事が非常に困難な仕事を無理に続けていた結果が適応障害でした。仕事環境自体が僕にとって重度のストレスをもたらしていたのですね。

話を発達障害に戻します。

僕は長期的なスケジュールを組むのが苦手です。苦手というか、長期スケジュールを組もうとした瞬間脳が思考を停止するんです。

これ言葉で説明するのって凄く難しいんですが、Twitterにとても分かりやすく説明しているツイートがありました。

今日明日の予定を組むのはできるのですが、1週間とかになると全然できないんです。

いや、出来ない事は無いんですけどとても疲れるんです。

だって予定なんて絶対に狂うじゃないですか。それをリスケジュールするのに凄い疲れるんですよ。

急に予定が変わったりするのにも対応できない(凄い疲れる)んですよね。

僕はバイクに乗って述べ20年くらいになりますけど、北海道はおろか2泊以上のツーリングに行った事がないです。何故なら2日目以降の予定を組めないからです。

「いやwwww出来るでしょwwwwww」って大抵の人が思うでしょうが、出来ないんですよね。

予定も組めないような奴が人を使う事なんて出来ないんですよ。

自分にはこういう特性があるので、苦手な事をやらされそうな環境には行かないようになりましたし、出来ないような事を頼まれそうになった時は、「出来ない」か「出来るけど時間がかかる」と言うようになりました。

できない自分を認めた

「こんな事もできないのか」「みんなはちゃんとやれてるのに」「プライドが邪魔をする」

僕が最初に適応障害に掛かったのは、それまで6年勤めていた会社の社内システム部が崩壊してしまい、更なるスキルアップと新天地を求めて請負系のシステム会社に転職して半年した頃でした。

それまでの会社とはまるでレベルが違う少数精鋭(ブラックのフラグです)の会社で、確かに僕が今まで経験した事よりも1つも2つもレベルが高い所でした。

即戦力が求められるのですが、経験値の浅い僕に対して先輩は露骨に苛立ちを見せました。

ここで僕は7歳年下の先輩に毎日舌打ちや嫌味、「死ね」という言葉を浴びせられる事になるのです。

「年下に。。。」とか変なプライドが余計に自分を苦しめたんですね。今思えば本当にくだらないです。あの時「すみませーんボク出来ないんでー(てへっ)」って出来てたら何か違った結果になってたかも知れないですね。ちなみにその会社のフェイスブックではそのクソ野郎以外(経営陣は除く)殆ど社員が入れ替わってるみたいでした。

僕は理不尽な事は一切したくないし、能力的にも「出来ない」人間なので、正社員のような責任のある仕事にはもう就きません。そういうのは「出来る」人か「ポンコツ認定」されても平気な人がやればいいのです。

「一生バイトでいいや」って腹を括った時からスっと何かが軽くなりました。

(みんなちゃんと正社員で働いているのに)って事に囚われていましたが、人は人、僕は僕です。

バイト先では(バイトでも責任もって働かなきゃ)なんて微塵も思いません。だってバイトだし。

重い責任を乗せるならもっと金払えくらいの感覚で居ます。自分を守る為です。

マイナスをもたらす人は徹底的に排除した

2018年にもなってもまだ居るんですよ、うつ病患者に向かって「逃げてばかりじゃ治る物も治らない」とか「熱い風呂に入らないからうつになるんだ」とか言う人。

実際に僕が言われたり体験した事なのですが、これらは典型的なうつ病患者への無知と偏見です。そういう人達に何言っても駄目なので、さっさと離れるべきです。彼らは僕にマイナスしかもたらしませんから。

フェイスブックやインスタグラムなどの「俺陽キャ」「私こんなに煌びやか」みたいなクソSNSには一切アクセスしません。しても一方的なお知らせを投稿するくらいです。

芸能人とかなら良いんですけど、身近な知り合いのそういうの見せられてもついつい自分と比べてしまうので駄目です。比べるなって言っても無理なんです。

いくらお世話になったからといっても、自分にマイナスをもたらす人とはキッパリと縁を切りました。自分で言うのもなんですが義理堅いんです。でもこれが自分を苦しめる事になるんです。

マイナスをもたらす職場もさっさと切りました。

今は売り手市場なので仕事なんていくらでもあります。バイトや正社員に関わらずです。

こちらは労働力を提供して、向こうは対価を払う。仕事なんてこれでいいのです。

それをやれ職場の面子で遊びに行くとか同僚からキャンプに誘われるとかいい加減にしろ友達居ないのかよ。

自分の力だけでは到達できなかった

まず最初に言いたいのは、こんな状態になっても支えてくれた妻への感謝は言葉にならない。

多分僕以上に不安だったはずなのに、日々笑顔を絶やさないで居てくれた。支えてくれた。

恐らく僕1人ではこうはなっていなかったと思う。

人と比べて自分を責める、人と比べなくても自分を責める僕に「貴方は貴方なの、他の誰でもない貴方を私は愛しているの」と何度も根気強く教えてくれた。

次に家族。

僕がこんな状態になった時「二人でいつでも帰ってきな」と言ってくれた。

あまり多くを聞こうとはしてこなかった。ずっと見守っててくれた。

そして友人達。

同じ趣味の友人達は、僕がこの病気になっても変わらず居てくれた。

距離を置くでもなく変に近づくでもなく、今までと同じように。

これはカミングアウトした僕にとって凄く有り難い事だった。彼らの所に行けば楽しい話ができたし、嫌な事も忘れられた。

あとがき

寛解するのにどれが正解なんて無いです。たまたま僕はこうでしたって事です

ただこれだけは言えるのは焦っては駄目だという事。いや、無理なんですよ。焦らないなんて。

でも敢えて言います。焦っては駄目。

働けないので生活費をどうするのかとかね、焦りますよね。

僕は傷病手当金というのを貰って生活していたのですが、生活保護でもいいです。行政に助けを求めましょう。僕は傷病期間中は年金や税金一切払ってないです。免除されるんです。どうしたらいいのか分からない場合は、どうしたら良いのか分からないと役所の生活課に行って下さい。日本は人間としての最低限の生活が保障されている国なのです。まずはこの病気を治す事です。

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